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10/08/2013    イラン国境付近で

「ハロー!ハロー!」

子どもが自転車に向かって駆け寄ってくる。

なんとも微笑ましい光景。

そして、次の瞬間には必ずこういわれます。

「マネー。」





今僕は、トルコとイランの国境付近、トルコの最も東に位置するアール県にいます。

大好きなトルコ人に支えられここまでやってきましたが、ここアール県に入ってからは、実はちょっと気が滅入ってしまうことが続いていました。


人が冷たい。

特に子どもたちが。


子どもたちは、僕の顔を見るなり「マネー」とよってたかってきます。


それだけならまだマシ。

僕の顔を見るなり

「ファックユー」

とか

トルコ語で侮辱的な言葉を投げかけてくる子も。

トルコ語で意味は分かりませんが、彼らの嘲笑う言葉きはとても嫌な響きがします。


アール県はクルド人が多く住む地域。
クルド人は自分たちの国を持っていない世界最大のコミュニティ。
そして、ここら辺はトルコの中でもかなり貧しい地域にあたる。

だからなのだろうか。
貧しさや歴史がこう人を変えるのだろうか。

でも、人種や地域が変わるだけで、こんなに人間って変わってしまうんだろうか。


子どもが言うことなので、怒る気持ちは起こってこないが、ここまで会う子会う子に「マネー」やら「ファックユー」を連呼されるとさすがにつらくなってくる。


アール県は標高が高い。

自然も厳しい。

2000m以上の高地にあるし、周りには3000mを超える山が連なり、一番高い山は5000mを超えている。

だから寒い。

夜は雪が降ることも。

そんな中、応援でも励ましでもなく、ただの金づるとしか見ない発言や、心のない侮辱の言葉は骨身にこたえる。


寒くて、日が完全に暮れて困っていた時に「マネー」と言われ、別れ際に「ファックユー」と言われた時は、骨身にこたえるというか、身も心も寒くて凍え死にそうになりました笑

トルコ人が底なしのやさしさだっただけに、そのギャップもきつい。

もちろん、中にはやさしい人もいる。
だけど、あまりにもお金をせびられたり、侮辱的な言葉を何度も浴びせられるとさすがに限界を感じ始める。



あー、旅、もう嫌かも。



そう思い始めたときのことでした。



ある人たちが僕を救ってくれました。

本当に救ってくれました。


それは、シリアの人たちでした。

彼らに出会ったのは、村はずれの川沿いでのこと。


最初彼らがシリアからの難民だとは気付きませんでした。
ただ、遠くでおいでおいでと手招きしてくれているので、「なんだろう」という気持ちで彼らの近くへ。


そして、近づくにつれて「ユニセフ」の文字が入ったテントに気づき、


「もしかして、あの人たちはシリアの人たちかもしれない。
今までお金をせびられてばかりで嫌な思いをしているばかりだ。
お金とかせびられるかもしれない。行くのやめようか…」

と近づいたことを少し後悔しました。

しかし、彼らは満面の笑顔で手招きをしてくれている。

ちょっと迷ったが彼らの笑顔を信じてみることに。

すると、やはり彼らはシリアからの難民でした。


でも、彼らはお金をせびろうとするどころか、笑顔で僕を迎え入れてくれている。




そして、信じられない言葉が耳に飛び込んできた。



「寒かったろう。チャイ飲むか?おなかはすいてないか?パンたべるか?」




……なんで?


あなたたちの方が寒いはずでしょ?


あなたたちの方がおなかすいているはずでしょ?


なんで…?


言葉にならなかった。


寒かったし、おなかはすいていたけど、とてもじゃないけど受け取れなかった。

でも、気が付くと本当に久々に満たされた気持ちになっていた。


その後は、これまでの旅の話をしたり、彼らのシリアへのあつい思いを聞いたりして、それは楽しい時間を過ごすことができた。


そして、何か彼らのためにできないかと思い、最後に子どもたちにこの旅のプロジェクトの糸つなぎをしてもらおうと思った。

これまでの子どもたちには、繋ぐ糸に名前と夢を書いてもらっている。


でも、そこで、気付いた。


「とても言えない。」


夢を書いてくれっていったって、、、


この子たちにとって今の夢は、家に帰ること以外ありえない。
今のこの混乱が終わること以外ありえない。

さっき、シリアの話をあんなにあつく語っていたばかりだ。



ここは寒い。

夜はこんなテントじゃ凍える寒さに違いない。

食糧だってこんなになんにもない土地じゃ十分に確保できないはずだ。

周りのトルコ人やクルド人も大量の難民に対して歓迎するはずがない。だから、こんな村から外れたところで生活しているんだ。



家に帰りたい。

それ以外、今の夢があるはずがない。


異国で寒く、冷たくされる経験の辛さ、帰りたい…

この気持ちは今の僕は痛いほどよくわかる。


そう気づくと、とても「夢を書いて」と言うことができなかった。




「戦争で被害を受けているのは、戦争に関係のない人たち」ではない。

戦争で被害を受けているのは、今目の前にいるまさにこの人たちなんだ。



こんなにやさしい人が被害を受けているんだ…。

こんなにやさしい人が…。

なんで…。




なんで戦争なんてあるんだろう。

彼らと別れた道の途中で本気でそんなことを思った。




でも、途中でまたあることにも気付いた。

彼らがいつも笑顔だったこと。

2



彼らがつらそうな表情をしていなかったこと。

3

4


彼らがつらくないはずがない。
自分ではどうしようもない状況下にありながら、人へのやさしさを忘れず、笑顔で生きている。


自分が情けなくなった。


ちょっと人がやさしくなくなったからって、自分は人にやさしくしていただろうか。
ちょっと冷たくされたからって、自分は笑顔を作っていただろうか。


彼らみたいになりたい

そう思った。



風は相変わらず向かい風だった。

でも、いつの間にか雲がなくなり、初めてアララト山がきれいに見えた。


この時に見た景色。

思ったこと。

絶対忘れない。


1

アララト山(5165m)。旧約聖書でノアの箱舟が辿りついた場所とされている。

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10/08/2013    日本人が恋しい

以前「トルコ人のやさしさで」も書きましたが、トルコの大地は半端じゃない。

坂を登ったと思ったら下り坂で、また上り坂で、下り坂で……。
ひたすらアップダウンの繰り返しです。

これならまだひたすら上り坂の方がましです。


坂だけならいいのですが、また風が半端なくきつい。

さえぎるもののないむき出しの大地が広がっているので、日本では体験したことのない風が毎日毎日吹きます。



そんな広大な土地では、町(というか村?)と町の間は何もない。

広大な土地にぽつんと町が取り残されたような感じです。

d


a



そんな広大な大地を走っているとき、問題が起きました。

自転車のトラブルです。

ここまではパンク以外なんの問題もなかった。

8000㎞以上走って、むしろここまで全く問題がなかったのは、確実に、日本で心を込めてスペシャルな自転車に仕上げてくれた「河本自転車店」のお蔭です。

出発前には「河本自転車店」には本当にお世話になりました。
河本自転車店のことについてはまた後日ブログに書きます。


最初に異変に気付いたのは、イスタンブールを出発して300キロほど進んだ道でのこと。

「ん?なんかタイヤの回り方がおかしい。」

こぐのをやめ、タイヤを見てみるとスポークが一本折れている。

しかも、調べてみると5本くらいスポークが折れかけている。


本当はスポーク折れくらい自分で治せる技術を持っているべきなんですが、僕は残念ながらそんな技術をもっていない。

しょうがないので、グラグラのタイヤで次の町(村?)まで進む。
幸い、次の町まで30キロほどだったのでなんとか辿りつき、

「自転車屋はどこですか?」

と尋ねる。

これも幸いなことに、この町には自転車屋があるらしいので、教えられた自転車屋に行く。

しかし、、、、

なんと、店員さんが中学生くらいの子どもだったんです。

そして、いろいろ話した結果、

「ごめん。僕直せない。100㎞先のトスヤという町に自転車屋があるからそこに行ってくれ。」

と信じられない言葉が。

そして、タイヤを見ると折れかけていたスポークが5本とも折れていた。

泣きたくなったが、気付くと日が暮れかけていた。

日が暮れかけていたことで、ますます悲しくなったが、「寝床を探さなければ」という焦燥感でなんとか気持ちを建て直し、民家の前の空き地を見つけ、そこで次の日を待つことに。



次の日。

さすがに6本もスポークが折れた状態では走れない。

たぶんバスもこの村にはないだろう。

ならば選択肢は一つ。ヒッチハイクで次の町までとりあえず進もう。

大通りに出て、落ちていた段ボールに「TOSYA」と大きく書き、その段ボールを掲げようとしたその時、

パトカーが見えた。

「やばい。ヒッチハイク止められるかな」

と急いでその段ボールを隠したが、こんなに何にもない道路でぽつんと立っていることを不審に思ったのだろう、

パトカーが止まり、

「何をしてるんだ」

と尋ねられてしまった。

しょうがないので、正直に話す。

すると、警察官から信じられない言葉が。

「なんだ。じゃあ俺も手伝ってあげるよ。」


「ええー!?警察官と一緒にヒッチハイク!?」

と思わず叫びそうになったが、実際彼らは本当に一緒にヒッチハイクを手伝ってくれた。

それにしても、トルコ人は本当にやさしい。

通る車すべてが止まってくれる。

お蔭で、3分後にはヒッチハイクに成功。

しかも、フカフカシートの冷房つきの大型バスが乗せていってくれることに。
さらに、警察官が会社名やドライバー名など控えてくれたので安心して乗ることができた。


陸路でいけるところはすべて自転車で行きたかったがこの際しょうがない。
それにしても、なんだろうこの展開。
やっぱりトルコ人大好きだな。

そんな風ににやけながらバスから見える景色を見ていた。


バスはあっという間にトスヤに着いた。
自転車だと一日かかるのに笑。

自転車屋を探し、その自転車屋に行ってびっくり。

なんと、ここでも店員が子ども。
彼は中学生ではなく、高校生だったのですが。

ちょっと不安な気持ちのまま自転車を見せる。

彼は、一瞬不安な表情を見せたが

「ノープロブレム!」

と言ってくれた。

その後、彼は本当に必至に直してくれた。

汗水たらして必死に。

そう、必死に…。


しかし…、

「できた!」と見せてくれたのはよれよれのスポークで「なんとかつないだ」って感じのタイヤ。
ってかスポーク曲がっているし…。

ここ曲がっているよ、というと再び彼も必至に直してくれた。
しかし、何度やってもできないみたい。

最後に
「できたよ!これで完璧!」

ってよれよれスポークのタイヤを見せられた時は、正直、「マジかよー」という気持ちだったのだが、彼の満面の笑みを見るとそれ以上文句は言えなかった。

実際彼は一生懸命やってくれたし、これ以上は彼もできないのだろう。

次の大きな町まで200㎞。
「それまではもつだろうし、そこで直そう。」

そう思って、きっちり直すことをあきらめ、お礼を言ってトスヤを出る。

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トスヤを出るとき、たくさんの人が見送りに来てくれたのがうれしかった。



しかし、、、

こぎ始めて30㎞で、、、

「ポキ」

とスポークが外れてしまった。
この時は怒りよりも、不安よりも、トルコ人のいい加減さにあきれて笑ってしまった。


幸い外れただけだったので自分で直し、なんとか大きな町サムスンへだどりつく。


サムスンでは、きっちり直してもらおうとできそうなおじさんのいる自転車屋を探し、

「このスポークが曲がっているからまっすぐにしてくれない?」

と頼む。

しかし、

「ノープロブレム」

とおじさん。

仕方がないので別の店に。
しかし、どの店でも「ノープロブレム」の連続だった。

そして、その曲がったスポークのまま、気が付けばイランとの国境沿いまで来てしまった。

町に着くたび、自転車屋を探すのだが、みな「ノープロブレム」の連発。
「必至にここ曲がっているよ」と伝えるのだが、みな気にしないらしい。

今ではもうあきらめてます笑。
自転車はこげるし、トルコ人にとっては本当に「ノープロブレム」なのだろう。


でも、もう二度と彼らの「ノープロブレム」という言葉は信じないでしょう。

何があってもみんな「ノープロブレム」かトルコ語で「プロブレムヨウ」と言います。

ある宿では

「銀行はどこにありますか?」

と宿の主人に聞いたときに「ノープロブレム」と言われた。
さすがに、この時は空いた口がふさがらなかった笑。

彼らが「ノープロブレム」と言った時、それは「プロブレム」という意味なんだろう。

日本では考えられない、この適当さ。

でも、この適当さがトルコ人。
でも、それ以上に底なしのやさしさがあるから僕はトルコ人が好きです。


うん。
でも、適当じゃない、日本人が恋しいな笑



b


c


10/07/2013    ビザ取得へ

ポルトガルからトルコ。

ここまでは、国境超えに関して何の問題もありませんでした。

特にEU加盟国の中を移動するときは、検問すらありません。
自転車こいでて気づいたら違う国になっていたなんてことも笑。


国境を超えるときに審査のあるところでも、「ジャパンパスポート」があれば何の問題もありません。

ちょっとびびりながらパスポートを見せると、


「ジャパン?ノープロブレム!」


この一言で終わり。


審査時間3秒。

審査の意味あるのかなって感じです。


隣で国境超えるのにもめている人がいても、その横をすんなり通過。
(モンテネグロとアルバニアの国境、ギリシャとトルコの国境では、もめてるひとを見かけた)


国境付近で渋滞してても自転車だと検問所までスイスイと辿りつけます。
(自転車っていいですね)

日本のパスポートは最強です。



しかし、ここからは新たな戦いが必要になってきます。


そう、ビザです。


これから通る国々のほとんどビザが必要。

ビザがないとその国には行けない。

(ビザとは査証のこと。入国審査を受けてもいいよっていう証明書のことで、ビザがないと入国審査を受けられない。)


そして、ビザには有効期限があるので、日本で取ってから行くという方法は、自転車旅では事実上不可能。
第三国でビザをとりながら進むという旅になっていきます。



そして、トルコの次に目指すのはイラン。

そう、僕にとって最初にビザが必要な国です。



イランビザはネットだと情報が錯綜していて確実な情報がつかめなかった。

しかも、初めてのビザ取得。

不安でいっぱいだったビザ取得までの戦いを書きたいと思います。




イランビザ取得で有名な場所がトラブゾンというまち。


ここが有名な理由は、ビザが即日発行されるということ。
朝にビザを申請して、夕方にはビザが受け取れるという。

しかも、日本大使館のレターも、インビテーションも、残高証明書も必要ないといううわさ。

しかし、「簡単にとれた!」という人がいれば「トラブゾンでイランビザ取れず」なんて人もいて、集まった情報が不確定だった。


そこで、トラブゾンでイランビザを取る前に、イスタンブールでビザを取ることに挑戦。


挑戦一日目

イスタンブールに着いた次の日、朝一でイラン大使館へ。

どこから入ったらいいのかわからないので、警備の人に尋ねる。

すると、今日は休みだという。

ん?今日月曜だけど。そんなはずはないでしょと何度もしつこく質問。すると、電話をつないでくれ、本当に休みだということが判明。

普段月曜日は空いているけど、その日はイラン本国が何かの記念日らしくて、休みだった。

一日目、軽く門前払い。



挑戦二日目

次の日も朝一でイラン大使館へ。

8時30分開門の15分前に行くとすでに、行列ができていた。
5分遅れで門があく。

どきどきしながら大使館の中へ。

すると中も人でいっぱいだった。
整理券みたいの最初のうちは配っていたが、すぐにぐちゃぐちゃ状態に。
しかも、英語がしゃべれるのが大使だけ。

やっとのことで、

「イランビザを取りたいです」

とイラン大使に伝えると、


「オートリゼーションナンバーは持ってるか?」

と大使。

ん?なんだオートリゼーションナンバーって。よくわからない顔をしてると、

「この紙に書いてあるサイトにアクセスしてオートリゼーションナンバーを手に入れてから、もう一回来なさい」

と言われた。

ちょっと待って、オートリゼーションナンバーって何?と聞こうとしたときには、たくさんの人が大使に群がり聞ける状態ではなくなってしまった。


「うーん、仕方ない。とりあえず、このサイトで調べてみよう。きっとわかるだろう。」

と宿に戻る。


しかし!

宿に帰ってそのサイトにアクセスしてみたのだが、どこにもオートリゼーションナンバーのことについて書かれていない。
何度も読み返したのだが、情報なんてどこにも載っていない。


結局その日は、大使館とそのサイトを何度も読んでいるだけで終わってしまった。



挑戦3日目

この日は少し寝坊をしてしまい、10時ごろイラン大使館へ。

すると、中はもうカオス状態になっていた。

ビザ発行の許可は大使一人しかできないらしく、その大使にみんなが群がっている状態。

整理券なんてもはや機能していませんでした。

「オートリゼーションナンバーの取り方を教えてほしい」

このことだけ教えてほしいのに、なかなか聞けない。

すると、途中で大使がどこかへ行ってしまった。


周りにいた人に聞くと

「お昼ご飯を食べに行っているんじゃない?」

とのこと。

仕方なく、待つことに。



途中、トイレに行きたくなった。
しかし!大使館の中にトイレはないとのこと!!

仕方がないので外にでようとすると、顔見知りになったイラン人に

「今、外へ出るともう中には入れないよ」

と言われた。

「え?そんなことってあるの?」

と思ったが、ここまで待って何の情報も聞けないのは我慢できないとのことで必至に我慢。


我慢、
我慢、
我慢。。。。


「もうこれ以上我慢できない…」

そう思ったときに大使が現れる。


トイレに行きたい気持ちを必至に抑えこみ、笑顔で

「オートリゼーションナンバーってどうやって取るんですか?」

と聞く。すると、

「イランの旅行代理店に連絡をして、手続きをしなさい。」

と大使。

それだけじゃよくわからないので、

「どこの旅行代理店でオートリゼーションナンバーってとれるんですか?」

と聞いてみたのだが、

「私にはわからない」

とのこと。


「なんじゃそれー」

と思ったが、もう僕のぼうこうが我慢の限界だったので、大使館を後に。

用をすまし、気持ちが落ち着いたところで、もう一度大使館に。


しかし、やはり中には入れなくなっていた。

仕方がないので、大使館から出てくる人にオートリゼーションナンバーの代理店を教えてもらおうと、出てくる人を待つことに。

すると、すぐに代理店の名前を知ることができた。

最初からこうやってればよかった。


宿に帰り、その旅行代理店にメールで連絡。

「24時間以内に連絡します」

という返信を受け、この日は終わった。



挑戦4日目

朝起きて、一番にメールをチェックする。

しかし、メールはきていない。

もうすぐ来るだろう、もうすぐ来るだろうと何度もメールをチェックしたが、一向にこない。

結局、この日一日待っても連絡は来なかった。



挑戦5日目
お昼ごろやっと待ちに待った代理店からのメールが来た。

そのメールに添付されている、アプリケーションフォームに載っている質問事項にすべてこたえる必要があるらしい。

その質問が実にたくさんあった。

パスポートナンバーといった情報から、

「あなたの父の名前は?」

「イランでの毎日の旅程を詳細に述べて下さい。(滞在先など)」

といったここまで答えなきゃいけないの?
って質問まで。

ってか父がいなかった場合どうすればいいんだ。

こんな質問に答えるだけでかなり時間がかかりました。

そして、中には、長い文章を書かなきゃいけないこともあったので、間違った英語を使っていないか、ジョーやジョニーにチェックもしてもらいました。

手伝ってくれた



そして、オートリゼーションナンバーの発行に10日かかるとのことなので、イスタンブールでオートリゼーションナンバーの受け取りをあきらめ、トラブゾンでの受け取りを指定することに。


そして、


イスタンブールから1000キロも離れた黒海に面したトラブゾンへ。

正直、トラブゾンに来たのは

「海が見たいな…」

というロマンチックな理由ではありません笑。


「イランビザを取る」


ただ、そのためだけに来ました。


そして、トラブゾンに着いた時には、代理店に連絡した日から10日以上たっているのに連絡は来ておらず。

しょうがないので、とりあえず次の日に大使館に行ってみることに。



挑戦6日目

朝一でドキドキしながら大使館へ行く。

9時開館なのだが、8時30分にはついて待っていた。

しかし、イスタンブールと違って9時になっても行列どころか誰もいない。

そして、9時を過ぎているのに門が開かないので、恐る恐るインターホンを鳴らす。

すると、「どうぞー」

とインターホン越しで鍵を開けてくれた。

なんだこの軽い感じ。勝手にインターホン押して入るんだ笑。


「ここでビザ取れなかったらどうしよう」

そんな不安な気持ちを抑えて笑顔であいさつ。

「パスポート」

と強面で一言の大使。

パスポートを渡し、しばらくペラペラパスポートを見たのち、

「OK。じゃあこの用紙に必要なこと全部書いて。」

言われた通り、必要なことを全部書く。

ここでも、パスポート番号の他に、「父の名前は?」といった細かいことを書かされた。

その後、すべての指の指紋をとられ、

「じゃあ、夕方4時30分にまた来てください。それまでに、こここの講座に60ユーロ振り込んでおいてね。その領収書と引き換えにビザを渡します。」


ん…?

え…?

これだけ…?

これでビザ取れるの?


ちょっと信じられない気持ちのままだったが、言われた通り銀行で振込みを済ませ、夕方4時30分にイラン大使館へ。


すると、、、

本当にイランビザがもらえました。

イランビザ


イスタンブールでの日々はなんだったんだろう。

最初からトラブゾンに来ていればよかった。

しかし、何はともあれ、無事にイランビザゲット。

これで無事にイランへ行けます。

はじめてのビザ取得、しかも海外ということでバタバタでしたが、取れた後はうれしくてしばらくビザ眺めながらにやにやしてました笑。

さあ、イラン行くぞー!

(ちなみに、その旅行代理店からはビザが取れたその日の夕方に、「オートリゼーションナンバー取れました」というメールがきました。)


09/25/2013    トルコ人のやさしさ

イスタンブール出発からおよそ二週間。

今、僕はトルコの広大な大地を走っています。

こんなに広大な土地をひたすら自転車で走ることは生まれてはじめて。
容赦なく吹く強風と、這うように進む坂道と日々戦っています。

景色1


きついですが、つらいとは感じません。

いやいや、ウソウソ笑
正直きついでしょ笑。


確かにきついですが、つらくはありません笑


なぜか。

それは、

日々トルコ人の半端じゃないやさしさに助けられているからです。


道行く人がみな僕を見かけると

「メハバ!(こんにちは!)」

と笑顔で手を振ってくれます。


そして、

「チャイ?(紅茶飲まないか?)」

とたくさんの人が声をかけてくれます。

チャイ


チャリこいでいると1時間に一回は必ず声をかけられます。

チャイを飲んだ後、「さあ行こう」とチャリをこぎだした途端に、別の人が声をかけてくれることもしばしば笑。

お蔭で進めない笑。

でも、そんなトルコ人のやさしさが好きでどうしてもまってしまう。

CAY




トルコは親日国として有名。

僕が日本人だとわかると

「ジャポン!」
と目を輝かせながら、本当にやさしくしてくれる。

大人も子どものようにはしゃいで、「日本人だって!」と気が付いたら近所の人ほとんど集まっていたなんてことも笑。



そんなトルコでは、寝床を探すのも苦労しない。

日が傾き始めたころに

「ここにテントはっていいですか?」

と頼むと

「いいよ!」

と、快諾してくれる。

今のところ成功率100%。
「だめ」と言わないどころか、誰も嫌な顔ひとつしない。

場所はどこでも。
庭先だったり、食堂の横だったり、モスク(イスラム教の教会)の庭だったり…。

そして、テントを張っていると人が集まってきて、夕食をごちそうしてくれるのだ。
中には、「うちへおいでよ」と家に招いてくれる人も。

やさしさ3

やさしさ2



お蔭で、イスタンブールを出てからサムスンまで、ほとんど宿には泊らなかった。

ちょっと出会いに疲れて、ホテルに泊まった時も、結局いろんな人が集まってきてやさしくしてくれた。

やさしさ4



旅につかれ始めた僕にとって、トルコ人のやさしさは涙がでそうになるほど身にしみる。

彼らのやさしさは底なしのやさしさだ。

イスラム教には、旅人に親切にしなさいという教えがある。
僕が日本人だということも大きく関係してるだろう。

でも、そんなこととを考えても、こんなにたくさんの人がここまでやさしくしてくれるのは信じられない。



トルコ。

今までで一番好きな国になりそうです。



tasasisa2



やさしさ5

やさしさ1




ジョーとジョニーのブログも載せておきます。

Rad Riders【ジョーとジョニーのブログ】


英語で書かれてますが(彼らはイギリス人)、写真や動画もあって、一緒に旅をした雰囲気は伝わるんじゃないかなと思います。

時間のある時にぜひご覧ください!

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