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写真をアップ・整理しました。

左側の「写真はコチラ!」というところから写真のサイトにとべます。

「Sets」というところに国ごとに写真を整理したので、見やすくなったと思います。

写真データのバックアップも兼ねていて、枚数が多いのですが、お時間のある時にぜひご覧ください。
http://www.flickr.com/photos/96273629@N06/sets/

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ネパールでインドビザを取得する方法について書いておきます。(2014年2月末の情報)

今回書いていることは、ツーリストビザの話です。


ネパールでインドビザを取得できるのは、現在首都のカトマンズだけです。
国境で昔は取れたみたいな話を旅人から聞きましたが、今は取れません。


因みに、数年前はインドを出ると、二か月はインドビザが取れないというルールがあったのですが、今はなくなっています。

私もインドからネパールに来たのですが、2か月以内にインドビザを申請しましたが、なんの問題もなく、取得できました。


ビザを申請するところはインド大使館の横にあるビザセクションのところに行きます。
ツーリスト用の宿がたくさんあるタメル地区から歩いて10分くらいのところにあります。

営業時間は9時30分~12時。
並ぶ時は結構並ぶので、9時前くらいに行くといいです。


<必要なもの>
・パスポート
・パスポートのコピー(顔写真のページ)
・ネパールビザのコピー
・(インドに行ったことのある人は、インドビザのコピー)
・顔写真(サイズ4.5×3.5)※サイズに注意。
・現金1600ネパールルピー
・オンラインで申請して印刷した申込書
→申請のサイト:https://indianvisaonline.gov.in/visa/

※顔写真のサイズには注意してください。小さい方のパスポート用の写真だと却下されます。
※これらの書類をそろえられなかった場合、ビザセクションの隣にある写真屋さんでコピーやら、写真撮影やら、オンラインの申請やらいろいろしてくれます。ただ、オンライン申請した次の日からしか申請できないので注意。


<インドビザまでのステップと日数>
①オンライン申請で申込み
②必要な書類をそろえ、オンライン申請をした次の日以降に、大使館のビザセクションに行く。
③申請をし、お金を払い、領収書をもらう。
④一週間待つ。(営業日で5日かかるので土日を含めると最短で1週間はかかる。祝日がかぶるとさらに少し伸びる)
⑤領収書を持って、二回目の訪問。ここでOKならば、パスポートを渡して、次の日の17時~17時30分の間にパスポートを取りに行く。

※土日をはさむと取得できる日が伸びるので、週の前半(月曜日とか火曜日とか)に大使館に行くことをお勧めします。


<もらえる種類と期間>
インドに長期滞在したい人にとって、これはかなり大事な問題でしょう。
あくまで、僕が見た限りのことですが、結論から言います。


もらえる種類は、シングルしかもらえないと思います。
期間は、6か月をもらえる人と3か月しかもらえない人の両方がいます。


私は三か月のマルチで申請したのですが、三か月のシングルしかもらえませんでした。
周りの人に結構聞いてみましたが、ダブルやマルチを取れた人は見つけられませんでした。

6か月申請して、6か月もらえた人もかなりいましたが、3か月しかもらえない人も結構いました。
差はよくわかりません。
運なのか?

ただ、6か月のビザを申請していて、三か月のビザになりそうといわれた時に、しっかり交渉して6か月のビザを勝ち取っていた人もいました。
もし、本当に6か月のビザが必要な人は、その理由などをしっかり伝えられるよう準備していったらいい結果になる可能性が高いと思います。


しかし、インドのビザが切れたからネパールに行って、ネパールでインドビザを取得して、インドに戻る。そして、またビザが切れたらネパールにインドビザを取りに行くということをたくさん繰り返すと3か月しかもらえなくなり、3回以上繰り返すと、もらえなくなるらしいという話も聞きました。

インドでボランティア活動をしたり、ヨガやインド哲学の勉強してりするために、長期滞在が必要な人にはあまりうれしくない情報ですね。


因みに、タイのバンコクでは、6か月のマルチビザを簡単に取れたという日本人にも会いました。
一人なので、確実性は不確定ですが、一応、書いておきます。




<最後に>
インド政府は今資金不足で、積極的に外貨を取り入れようとしているため、日数はかかれども、インドビザは日本人なら取得できます。

それに、ネパールのインド大使館は、ビザセクションを銀行に外部委託しています。
そのため、整理券を発行する機会があって、順番通りに申請できたり、受付の人も対応は悪くありません。

中央アジアでのビザ取得のように、何時間も待つとか、順番がぐちゃぐちゃになってカオスになるとか、領事の人の気分でもらえるかもらえないかということはありません。
時間通りに門も開きます。


ネパールでインドビザを取得したい人はたくさんいると思いますが、必要な手続きをとれば確実に取れます。







神の山、マチャプチャレ。


そのマチャプチャレを見ながら、アンナプルナ山塊までトレッキング。




壮大な棚田。

暗いジャングル。

ゴゴオーと鳴り響くヒマラヤの雪解け水の音。

怖いくらい険しくそびえたつヒマラヤの山々。

星あかりに照らされる山。





そんなトレッキングをちょっとだけご紹介。









ポカラから見るマチャプチャレ

ネパール第二のまち、ポカラから見るマチャプチャレ。




夕日にそまるマチャプチャレ

目の前にそびえるマチャプチャレ。

夕日をあびて、黄金色に輝いたと思ったら、淡いピンク色に。
そして徐々に夜が山を青に変えていった。



牛こわい

牛と一緒に聖地へ。
ただ、道せまくてちょっと怖い。



聖地にそびえる山々

7000mを超える山々の間を行く。
山が高すぎて怖いくらいだった。

聞こえるのはゴゴオーという水の音だけ。



マチャプチャレを後ろから

マチャプチャレの後ろ側。




雪崩後

雪崩のあと。




MBCから

マチャプチャレ、ベースキャンプ(3650m)から、アンナプルナ山塊を望む。
いよいよ、アンナプルナベースキャンプ(4130m)へ。





いよいよABCへ

ゴゴーという音もなくなり、変わって静寂の世界に。

ザクザクという足音だけが聞こえた。





星あかり

夜、トイレに行こうと思って外へ出たら信じられない星空が。

星が怖いくらいに広がって、星の灯りで山が黒々と見える。
ヒュオーという風の音。
外はマイナス15度くらい。

震えながらそんな星空を見ていた。









ネパールの山は最高です。

02/04/2014    ネパールへ

インドを自転車で旅するのはきつい。

そのきつさは前の記事で書いた通りだ。



元旦までにバラナシに着く。


それを目標に、半ば修行僧のように過酷なインドの大地を突っ走ってきた僕にとって、

バラナシに着いて、

「おっしゃ!!バングラデッシュまで突き進むぞ!!!」

という気持ちになることは難しかった。



むしろ、ここまで無理してかっとばしたつけがまわってきたのか、

「もう自転車はこぎたくない。」

という気持ちになっていた。


どんなに無理やり自分を鼓舞しても全く自転車で再出発する気にはならなかった。
むしろ鼓舞すれば鼓舞するほど逆にこぎたくないという気持ちが大きくなっていった。



友達とスカイプで
「もうチャリこぎたくないわ。チャリ疲れた。わははは…。」

と愚痴をこぼすと

「根本的な問題笑!」

と突っ込まれた。



その通りだ笑。

自転車旅で自転車をこぎたくない。

これは本当に根本的な問題だ笑。
かつ、重大な問題だ。


でも、それが本当の気持ちだ。
自分の気持ちなのでどうすることもできない。




バラナシは僕にとって居心地のよいまちだった。

よくも悪くも観光地なので、好機の目で見つめられることもない。

その日夜を過ごす寝床もちゃんとある。

お湯もでる。

日本食が食べられる。
(バラナシにはメグカフェという本格的な日本食が食べられるお店がある。本格的な日本食を食べたのは、スペインのバルセロナが最後だった。バラナシで本格的な日本食を食べたとき、おいしさのあまり本当に泣きそうになった笑。バラナシでは毎日日本食を食べていた笑)

英語もちゃんと通じる。

バックパッカーにも会える。

Wi-Fiも使える。



そんな居心地のよいまちで、出発したくないなとくずっていると、気が付けばあっと言うまに時間が過ぎてしまった。

僕がとったビザはアライバルビザなので有効期限は最大30日だし、アライバルビザは延長ができない。


やばい。
そろそろ出発しないとバングラデッシュに着く前にビザが切れる。

でも、そんな瀬戸際になってもどうしてももう一度自転車をこぐ気にはなれなかった。




そんな時に、ネパールの話をあるバックパッカーから聞いた。


「ネパールはいいよ。日本食のおいしいお店がたくさんあるよ。人もいいし、ヒマラヤのトレッキングなんて最高だよ!」


「うーん。行ってみたいなー。ヒマラヤトレッキングとかめっちゃしてみたい。でも、ヒマラヤのトレッキングなんて今は1月で寒くて無理だもんなー。」


すると以外な答えが。

「ん?行けるよ?」


どうやら冬でもトレッキングは可能らしい。

そのあと自分でも調べてみたが、やっぱり可能らしい。


奇しくも、バングラデッシュは今選挙で情勢不安の真っただ中だ。
バングラデッシュにいる友達の話によると、僕がバングラデッシュに着くころが一番荒れているころらしい。

現在も道路封鎖や火炎瓶が投げられるなどけっこう不安定なうえに、これからどうなるかはわからないとのことだった。


だから、ネパールに一度よって、情勢が落ち着いてからバングラデッシュを目指すことも選択肢のひとつとしてあった。
バラナシからネパールは簡単に行ける。
だけど、それは選択肢のひとつとしてあるだけど、本当に行くつもりはなかった。


ネパールによっていると時間がかかるし、東南アジアや中国あたりで雨季にぶつかる可能性もある。
だから、ネパールによるつもりはなかった。



だけど、、、、


バングラデッシュの情勢はどうなるかどうなるかは、現地の友達曰く全く分からないらしい。
たぶん国境封鎖とかそんなことはないと言っているけど、万が一ということもある。
万が一、ビザが切れる直前に国境が超えられなかったら、どうしたらいいのかわからない。



いっそ、情勢がまだましなうちに電車やバスを使ってバングラデッシュまで行ってしまおうか。
いや、せっかくここまで頑張ってきたのだ。
できる限り自転車で横断したい。
でも、どうやっても自転車をこぐ気になれない。



ネパールの山にはずっと憧れていた。
その山が行こうと思えば行ける距離にある。
世界を見てみたいと思って旅を始めたけど、世界の屋根と言われる山々に行かずして世界を見たといえるのか。



今は自転車をどうしても漕ぎ出す気になれない。
こんな気持ちのまま、無理やり自転車旅を始めてもきっと楽しめない。


なら、一度自転車旅から離れてみるのもいいんじゃないかな。




よし、ネパールに行こう。



そう思ってネパールに行くことにした。




そう決めると気持ちがすっきりした。

そして、それから数日バラナシでゆっくりしていた。

しかし、それが間違いだった。



バラナシからネパールへは、バラナシからゴーラクプールというまちへ電車で行き、ゴーラクプールで国境のスノウリ行きのバスに乗り換えるのが今現在(2014年2月現在)のベストな行き方だ。



自転車をバラナシの宿に置いておくのは不安だった。
僕がいない間に勝手に乗られるかもしれないし、正直信用できない。


ネパールまで自転車で行ってもよかったのだが、ネパールからの帰りにまた同じ道を通ることになる。
(ルンビニというネパールのまちのお寺に自転車を置かせてもらい、そこからバックパッックひとつで、首都カトマンズや山に行って、またルンビニにもどってインドに戻る予定だった)


というわけで、さすがに同じ道を自転車で二度通るのは嫌なので、ネパールまでは電車とバスで行くことに。





前日までに、自転車を電車にのせられることは確認しておいたので、のせる気まんまんでバラナシの駅へ。

自転車を預けるため、荷物を預ける事務所へ。

すると、予想外のことを言われた。


「あなたが乗る列車には自転車をのせるスペースがないので、自転車はあなたが乗る次の列車にのせます。なので、明日の朝、ゴーラクプールの駅にとりに行って下さい。」


ちょっと「事前に確認したのになんでだよ」と思ったが、


「俺がゴーラクプールに着くのは今日の夜遅くだし、まあ、明日の朝来るんだったらいいか。」


そう思って自転車を駅の事務所に預け、列車に乗り込んだ。



列車は思ったよりも快適だった。


そして、外国人が珍しいのだろう。
いろんな人からいろんな質問を次々にされ、気が付けば乗客の何人かの人と仲良くなっていた。


中でも仲良くなったのがアシューという大学生だ。


デリーの大学に通い、バラナシに寄って、実家のゴーラクプールに帰るとこらしい。
僕もゴーラクプールに行くということが分かると、うちによかったらと招いてくれることになった。



アシューの家では、夜遅くの突然の訪問にも関わらずやさしく迎え入れてくれた。

アシューとほかの二人の兄弟、チョトゥーとニトゥーと一緒に遅い晩御飯を食べる。


夜中近くで、しかも突然の訪問なので遠慮していていると、


「なんで遠慮するの?遠慮なんてしなくていいよ。僕たちはもう兄弟なんだから。」


とアシューに素敵な笑顔とともに言われてしまった。




夜、4人みんなで一つのベッドでぎゅうぎゅうになって寝た。

3人がベッドできゃっきゃとふざけ合っているのを見て、なんて仲がいいんだろうとこっちまで幸せな気持ちになった。

アシューたち三兄弟

アシューたち三兄弟。左からチョトゥー、アシュー、ニトゥー。




次の日の朝、朝ごはんを食べ、自転車を取りに駅へ向かう。


当然、すぐに自転車が手に入るもんだと思っていた。



しかし、、、


電車がもう着いている時間なのに、貨物の事務所には自転車は来てないとのこと。


ちょっと不吉な予感を感じながら、必至で駅中を探し回った。

あっちにあるかもしれない、と言われればあっちに行き、そっちにあるかもしれないと言われればそっちに行った。


アシューたちも、駅員に何度も「彼の自転車はどこですか?」と聞いてくれた。

しかし、駅員の答えは、誰に聞いても「分からない」という答えだった。



駅員に聞いてもラチがあかないので、アシューたちが責任者っぽい人に聞いてくれた。


そして、その責任者曰く

「たぶん、バラナシで係りの人が積むのを忘れちゃったんじゃないかなー。だから、たぶん明日の朝には届くんじゃないかなー。」

とのことだった。

なんというあやふやな答え…。



インドで責任とやらを持ち出しても意味ないのは分かっていたが、

「荷物の管理ができてないのは鉄道の責任です。だから、バラナシに連絡して確認してください。」

と言わずにはいられなかった。



すると、

「荷物が届いていないのは、私たちの駅の責任じゃないですよ。確認はできないです。」

と言われてしまった。


アシューに聞いてみても、「彼らが確認するのは難しいんじゃないか」ということだった。



なんでだよ…。

そんなのどう考えてもおかしいだろ…。


あきれたが怒らずにはいられなかった。


だけど、それ以上にショックの方がでかかった。


ちょっと待ってよ…。

あの自転車がもしなくなったら、困るどころじゃないんだけど…。

本当に本当に大切なものなんだけど…。




長い間、聞きまわったり、探し回ったりいろいろとアシューたちとできる限りのことをしてみたが、結局はっきりとしたことは分からなかった。


「たぶん、バラナシで係りの人が積むのを忘れたから、たぶん明日の朝届くだろう」


そんなあやふやな答えしか分からなかった。




絶望的な気持ちでアシューの家に帰った。

明日まで待つしかない。

でも、待てば待つほど、自転車のことが気になってしょうがなかった。


「自転車に鍵をかけると運搬しにくくなるから、鍵はかけないでください」とバラナシ駅で言われたので、本当に間抜けなことに、自転車には鍵をしていなかったのだ。


今こうして待っている間にも自転車が盗まれているんじゃないか。

そう思うと不安でいてもたってもいられなかった。



何を言われようとも、鍵をかけとくんだった。

何を言われようとも、自転車を一緒の電車にのせてもらうんだった。


ショックの後は、不安になり、不安の後は自分のうかつさを後悔した。





それに、心配していたことがもう一つあった。


それば、ビザが明後日に切れるという問題だった。

明日の出発すれば大丈夫だと思っていたが、アシューいわく、この時期は霧が深く、バスが事故ったり遅れたりすることが多いという。

だから、国境まではできるだけ早く行ったほうがいいとのことだった。



また、私のインドビザはアライバルでとったビザだ。


飛行機で帰ることが条件のアライバルビザなので、陸路でインドを抜けても問題ないのかということも少し心配だった。

まあ、無理を通せば道理がひっこむインドなので、なんとかなるとは思っていたが、心配は心配だった。




そんなビザの心配もあったので、国境まではできるだけ早く行った方いいのだ。

でも、自転車のことがあるので、出発することができない。



どうすることもできないうえに、大きな心配を抱えた僕は本当に途方に暮れてしまった。

本当に。





すると、アシューがこんなことを行ってくれた。


「ユーイチローは、ネパールへ行った方がいい。ビザの期限のことだけを心配しなよ。自転車のことは僕たちがなんとかするよ。」


「いやいや、自転車のことがあるから僕はいけないよ。」


「いや、今バラナシの駅に僕の友達が確認しに行ってくれている。もし何かあってもぼくが取り戻す。絶対に自転車のことは何とかするよ。」



絶対なんて言葉そう簡単に口にする人は信頼してはいけない。
必要以上に親切すぎる人は信頼してはいけない。

それは、この旅で感じたことの一つだ。



ただ、アシューなら信頼できると思った。

見ず知らずの外国人を突然招いてくれる優しいアシューだ。
ここまで一生懸命助けてくれたアシューだ。


何より、アシューの笑顔は信頼できると思った。



心配がぬぐえたわけではないが、僕はアシューに自転車のことをお願いして、ネパールに発つことにした。


もしも、アシューを信頼できるなら、僕にできることは特にない。

なんせ明日を待つ以外やれることはもうないのだ。



もし、明日自転車が来なかった場合、警察に行って訴えたいが、そんな時間はもしここに僕が残っていたとしてもない。
警察に行っているとビザの期限は確実にきれる。




それに、正直な話を言うと、この時僕は耳に痛みを感じていた。

ガンジス川で沐浴した時、おそらく何か菌が耳に残ったのだろう。
お腹は鍛えたうえで沐浴したけど、耳は鍛えようがない。誤算だった。
ってそんな場合じゃない。あーー、俺のばか。


そして、その痛みはもう我慢できるぎりぎりのところまできていた。


病院に行くとしてもインドの病院に行く時間はない。
行くなら早くネパールに入り、病院を探したほうが体のためにもよかった。




「わかった。ありがとう、アシュー。俺今からネパールに行くよ。」

そういうと、アシューは大きなバックパックも貸してくれた。
そして、チャリ旅用の荷物も家に置かせてくれた。



そんなわけで僕は、自転車がどこでどうなっているのか分からないまま、インドを発った。



ネパールの国境へ行くバスの中では、ひたすら自転車のことが心配だった。
そして、ひたすら耳の痛みに耐えていた。


道はがたがたなのに運転手は狂ったように飛ばすのでまるで、バスの中は今から大気圏に突入するロケットのようだった。


心配と我慢と揺れで、外の景色などほとんで目に入ってこなかった。





ネパール国境には夜8時くらいについた。


ビザのことは心配だったが、国境越えは拍子抜けするぐらいあっけなかった。


インドとネパールの国境はゆるいことは知っていた。
現地の人は普通に自転車や徒歩で行き交っているらしい。

でも、あれはゆるすぎるだろう笑



暗かったこともあるが、まず出国審査をやっている場所が分からなかった。

気づくと、Welcome という文字が見えたので、慌てて引き返した。


あぶない、あぶない。
もう少しで不法出国になるところだった笑。


心配していたビザも何も言われず、ポーンとはんこを押してくれた。


インドルピーをネパールに持っていくのは一応禁止らしいので、インドルピーをバックの奥底にかくし、ネパールルピーを少額両替する。

しかし、何もチェックされずにネパールに入ってしまった。



あまりにゆるいので、ネパールに入ったあと、ためしに

「ごめん!インド側に携帯忘れちゃったからとりに行ってもいい?」

と警備の人に言ってみると

「いいよー。」

と簡単にインドに入れてしまった。


なんだこれ笑

これじゃあ不法入国簡単にされちゃうよ笑。



そして、ネパールのビザも国境で5分で取得できた。




そんなこんなでネパール入国。



しかし、寝る前も次の日朝起きても、自転車のことが気が気でならなかった。

そして、何度Facebookメッセンジャーを開いただろうか。




入国翌日の昼2時ごろ、待ちに待ったアシューからこんなメールが来た。




Got it!!!!!

自転車ゲット




ありがとう。アシュー!
ありがとう。チョトゥー!
ありがとう。ニトゥー!

本当に本当にありがとーーーーーー!!!



お蔭で旅を続けることができます!



※その後の耳の話

ネパールについて最初に向かったのが国境付近のルンビニという村。
仏陀が生まれた世界遺産の村だ。

世界遺産の村なので、病院くらいあると思っていたのだが…。


何もない笑!!!


ツーリスト用のホテルやレストランがあるエリアがちょっとあって、他は小さいむらとたんぼ。


しょうがなく村にあった薬局へ。


薬局の薬を使ってみたものの、一向に症状はよくならない。

なるべく保険の効く大きな病院に行きたかったがこの際、どうしようもない。

仕方なくホテルの人に相談すると、医者らしき人の家に連れていかれた。

その人は、親切に診てくれた。
しかも、無料で診てくれた。


でも、まったくよくならない。

そこで、ネパールで二番目に大きなまち、ポカラへ移動。


すると、その病院もとっても小さい病院だった。

大丈夫かなと不安だったが、その病院のドクターが名医だった。
親切に話を聞き、丁寧に診てくれ、最後まで責任を持って治してくれた。

今はばっちち治りました!!

ありがとうドクター!!


名医ドクターグプタ

お世話になったドクターグプタ。



結論:ガンジス川での沐浴はやめといたほうがいい。



02/03/2014    インドとひとつに

インド。

この国を訪れて衝撃を受けない人はいないだろう。



鳴りやまないクラクション。

ありえない交通マナー、意味が分からない交通量。

あり得ない交通量インド


どこに行っても散乱しているごみの山。

ごみの山インド


そして、糞尿。


そこから放たれる異臭。


どこに行ってもあふれている人。


しつこい客引き。


迫ってくる物乞いをする人たち。


迫ってくる人もいれば、もう死んでいるんじゃないかと思うほどぐんなりと横たわっている人たちもいる。


その間を、牛やサルや羊やネズミといった動物が行きかう。



もう何がなんだかわからない。



何もかもが「自然そのものの」で「ありのまま」のインド。





そんなインドを自転車で旅をするのは、きつい。
本当にきつい。



それを何かの楽器かと勘違いしているらしいクラクション攻撃に耐える。


対向車線だろうがなんだろうが構わず突っ込んでくる車をよけまくる。
もちろん後ろから来る車にも気を付けながら。


と、思うと意味が分からないとこから人が出てくる。


気を付けなければならないのは前後左右だけではない。


数々の踏むとパンクの原因になりそうなごみやでこぼこが道にはたくさんあるので、前後左右だけではなく、下にも気を付ける。


パンクには関係ないが、道にはうんこもたくさん落ちているので、それにも気を付ける(たくさん踏むと精神的にくる)。


そして、車に乗っている乗客から放たれるつばや、遠慮なく巻き上げられる土埃をかいくぐりながら進む。


土埃や排気ガス、悪臭がひどいところはゆっくり深呼吸もできない。




そんな中走っていると、まるでインドという国から

「自転車旅なんてやめちまえ!」

そんなことを言われているような気がしてくる。



それだけではない。

「ふう、疲れた」と自転車を停めると、うわーっと人が寄ってきて、じろじろと好機の目で見つめられる。

元気な時はいいのだが、毎度毎度だとさすがにうんざりしてくる。

インド人2

田舎町の自転車屋にて。

インド人

人懐っこくて憎めないインド人。元気な時はとっても楽しい。



おなかがすいたと思って何か買おうと思っても、騙されないように油断はできない。
疲れていても交渉しなければいけないことも多々ある。



田舎の方だと、食堂もビビるくらい汚い。


食べ物に虫がたかっていたり、お皿の中に何かへんなものが入っているのは当たり前。
一度田舎で、食べ物のショーケースの中にネズミがいるのも見てしまった。




また、インドはとっっっても広いので大きなまちが遠い。

やっとのことで、次のまちへたどり着いても、「清潔なホテルでゆっくり」なんてことは金銭的に無理だ。



必然的に一泊500円程度の安宿に泊まることになる。


網戸は破けているので蚊がわが物顔で入ってくる。

シーツは当たり前のようによくわからんシミがついている。

ゴキブリやネズミ、よくわからない昆虫も見かける。


食器の下からネズミが出た時や、朝起きるとふとんの中にゴキブリがいたことも。


もちろんお湯なんて出ない。





「インドだけは、自転車以外で旅したい」


そう思うことも多々あった。





しかし、頑張って進んだ。

もう半ば修行に近かったと思う笑。

それは、ある時期までにある場所まで進むという作戦のためだった。


それは、

「2014年の初日の出をバラナシで見る」

というもの。




ヒンドゥー教徒の聖地バラナシ。

インドを旅する人でこのまちのことを知らない人はいないだろう。

バラナシは、ヒンドゥー教徒にとっての聖なる川、ガンジス川のまちだ。


ガンジス川で沐浴をすることで、すべての罪が流される。
また、この川で命を終えることができるのは、ヒンドゥー教徒にとって極上の幸せだと言われている。

そんなバラナシというまちの響きに、インドに行くと決めた時から、僕はずっと憧れていた。




そして、頑張って進んだかいあって、なんとか年越し前にバラナシに着くことができた。






2014年1月1日。

いよいよ待ちに待ったガンジス川とのご対面。


バラナシの路地は迷路のように入り組んでいて、狭い。
初日の出を見るためまだ薄暗い中、足元のうんちに気を付けながら、くねくねと道を進んでいく。


少し迷いながら、でも確実にガンジス川に向かっていくと、空気がひんやりしてきて川が近づいてきたのが分かった。
それと同時に期待に胸が膨らんでいるのが分かった。



急にぱっと視界が開け、それと同時に、目の前に悠遊と流れるガンジス川が飛び込んできた。


ガンジス川は朝もやがかかっていて、まるで浮かんでいるように見える。
とてもこの世の川とは思えなかった。


まだ薄暗いガンジス川の向こう側は、まるで黄泉の国のようにも見えた。



しばらくぶらぶらしていると、次第に周りが明るくなってきて、2014年の初日の出がぼわっと上った。


朝もやの中で上がった太陽は、赤色と朱色が混じったような不思議な色をしていた。


こんな色もあるのか…。。。


と思うと同時に、


ついに2014年が来たんだ。
2013年は教師を辞め、旅に出て、毎日が激動で…。

正直、ここまで来れるとは思っていなかった。
でも、ここまで、バラナシまで来れたんだ。


そんなことを思い、胸がいっぱいになった。

初日の出






そんな太陽を思う存分眺めた後、足を延ばして散歩を続ける。



ボートの客引きをかわしながら、洗濯をしている人たちを眺めながら歩いていると、沐浴をしている人たちが目に飛び込んできた。


「あー。バラナシだ。本当にバラナシだ。」


と改めて実感してなんだかうれしくなってしまった。

沐浴する人たち





本当なら、この時、一緒に沐浴してもよかった。


「初日の出を見ながら、ガンジス川で沐浴をする」


そんな考えがなくはなかった。
せっかくポルトガルから自転車で必至こいてここまで来たのだ。


「でも、着いたばっかりでいきなり沐浴するのはなんだか違う」


という思いもあったし、無理やり沐浴するのではなく、気持ちが盛り上がって、心から入りたいと思ったその時に入りたいという思いがあった。




だから、僕は気持ちが盛り上がるまで数日待つことにした。




そして、その時は突然やってきた。



「ガンジス川に入りたい」


そんな気持ちになったのは、火葬場を見たことがきっかけだった。



ガンジス川の岸辺には、人の亡骸を燃やす火葬場がある。

その火葬場は、人の亡骸を燃やす炎が無数に、昼夜を問わず燃え続けている。



火葬場では、あまりに自然に、そして、多くの炎が上がっている。

だから、最初その炎を見たときは、その炎一つひとつが人を燃やしているなんてとても信じられなかった。


「なんかキャンプファイヤーみたいにも見える」


不謹慎だが、そんなことすら思ったくらいだ。


それほど、当たり前のように火は燃え続けている。



でも、確かにこの炎の一つひとつにはかつて魂があったのだ。

一つの人生があったのだ。

一人の人が燃やされているのだ。


そんなことを考えだすと胸の奥が苦しくなった。


でも同時に、それが自然だということもなぜかすんなりと入ってきた。

インドだからだろうか。





そんなことを思いながら、炎に近づいていった時のことだった。

多くのまきの中に、おかしな形をしたまきがあった。


でも、まきだと思っそれは人の足だった。

組まれたまきの中から人の足が突き出している。



最初それが人の足だとわかった時は、ショックでしばらくそれが人の足だということを認めることができなかった。


でも、それは確かに足なのだ。

目の前に人が燃やされていて、その足の皮膚はどんどんとケロイド状に変わっていく。


と思うとその足がパキパキという音を立てながら、ぐぐぅと曲がっていく。


まるでそれはまだ足が生きているかのようだった。




「こうやって人は死ぬのか。」

「いつか俺もこうやって死ぬのか。」


そんなことを思うと、急に怖くなった。
周りをきょろきょろ見渡した。



いや、俺だけじゃない。この周りにいる人もいつかはみんなこうやって死ぬんだ。

ここにいる人だけじゃない。俺の家族も親戚も友達も、今まで出会った人も、みんなこうやって死ぬんだ。なくなるんだ。この世からこうやってなくなっちゃうんだ。


いや、ただ命がなくなるだけじゃない。これまで頑張ってきたこと、生きてきたことそれ自体も全部いつかはこうやって消えてしまうんだ…。


今まで頑張ってきたことも、生きてきたことも、うれしかったことも、悲しかったこともすべて何もかも…。





なんで頑張って旅しているんだろう…。

どんなに遠くに行ったって、結局死が一番近いところにあるじゃないか。


なんで生きているんだろう…。


自分って何なんだろう…。





命あるものはいつか死ぬ。
すべてのものには終わりがある。
人間一人なんて自然の営みの中の一部でしかない。

そんなこと分かり切っていたことだ。

当たり前のことだ。



でも…

受け入れるしかないのだろうか…。

あきらめるしかないのだろうか…。


人が燃やされているのを見ながら、そんなことをずっと考えていた。




でもいくら考えても、分かったことは分からないということだった。


でも、分からないからこそ分かりたい。

知りたい。



そんなことを思ってふと顔を上げた。


ガンジス川は変わらず悠遊と流れていた。

岸辺では、インド人が別の遺体を川にひたし、次の火葬の準備をしていた。



しかし、ふと周りの人の顔を見ると驚くほどみんなあっけらかんとしていることに気付いた。

誰も悲しそうな顔をしていないし、ショックそうな顔をしているのは、僕みたいなツーリストくらいだった。




なぜこんなにもあっけらかんとしてられるんだろう。
なぜ今こんなに楽しそうにしゃべってられるんだろう。



その時、自称ガイドとして頼んでもいない説明をしてきたインド人の話を思い出した。


「ワタシタチは、このガンジス川で火葬されるとカミサマのトコロ行ける。だから悲しくナイヨ。むしろ幸せナンダヨ。」


そうか。
だから、こんなにもみんなはあっけらかんとしてられるのかな。






その時思った。


ガンジス川に入ってみようかな。



知りたい。


沐浴しながら彼らはどんなことを感じているのか。


別に、私はヒンドゥー教徒ではないので、ガンジス川が神聖な川だとは思わない。

沐浴したところで、何か罪が流されるとも、何かが分かるとも思わない。


ただ、なぜこんなにもこの川を神聖なものとし、どんなことを感じながら沐浴しているのだろう。

神聖とされているこの川で彼らと一緒に沐浴をしてみたい。

そう思った。



気が付くとその足はなくなっていた。


死体

子どもの死体。子どもは焼かないでそのまま川に流す。

ガンジス川のごみ

ごみ、人の糞尿、死体、すべてのものが流される。


髪切る

髪を切り、沐浴準備完了。




そして、翌日。

早朝に宿を出発し、ガンジス川へ向かう。

朝一なので寒い。


しかし、自分でもびっくりするぐらい寒さや川の汚さにためらうことはなかった。



服を脱ぎ、パンツ一丁になる。

大きく深呼吸をし、「えいっ」っと思い切って水に入る。



「あっっ」


思わず声をあげそうになった。

驚くほど気持ちがよかったのだ。
川の汚さなど全く気にならない。


冷たい水が体中に染み渡り、ぱあーっと体中のいろんな嫌なものが流されていく感じがした。


夢中で何度も潜った。



その後しばしぼーっと川面を見る。

川は朝日をあびてまぶしいほどきらきらしている。


それを見たとき、自分は自然の中の一つなんだということをすんなりと受け入れられた気がした。


生きているということを強烈に感じた。


そして、なんだかやっとインドと一つになれた気がした。

沐浴




聖なる川、ガンジス川。

この川は確かに何か不思議な力を持っているのかもしれない。
ゆういちろうくんは元気です。
今はネパールに滞在しているそうです。

親御様がた、ご親戚様がた、お友達様がた、
更新が滞り、心配されていらっしゃるとは存じますが、
彼はすこぶる元気ですので、ご心配なく。

以上拙い文章ではございますが、
少しでもご安心頂ければと思います。


ゆういちろうくん

更新しようね。

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