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05/25/2014    日本に帰ります

2014年5月25日。


日本に帰ります。




雨の日も、風の日も、

雪の降る凍える日も、殺人的な暑さの中もずっとずっと。

ひたすら続くまっすぐな道も

這うようにうねる山道も

砂漠も

ありえない人口密度の道も

排気ガスと土埃の道も

ただの平凡な道も

凸凹道も


ずっとずっと進んできた。



ユーラシア大陸の西の果てから、ここまで何度くじけそうになったことだろう。

何度孤独でつぶされそうになっただろう。

何度不安な夜を過ごしただろう。

何度「なんでこんなことやってるんだろう」と思ったことだろう。



それでもずっとずっと



ずっとずっとここまで進んできた。





ゴールの香港までは残り2000kmほど。

もうあとひとふんばりで旅も終わりというところ。





でも、


日本にこれから帰る。




理由は、一刻も早くしっかりとした医療を受けるべきだと判断するからだ。




今、僕の鼻は何かに感染し、完全に鼻の穴がふさがってしまっている。


原因は全くわからない。
鼻をほじくったわけでもないし、汚い水に入ったわけでもない。


ただ、突然鼻が痛みだし、高熱が出て、吐き気や寒気に襲われ、熱が下がったと思ったら、鼻の穴がふさがるほど腫れてしまった。

腫れはどんどん広がり、顔のほうまで広がってきている。





できる限りのことはした。

田舎のなーーんにもないところで症状が現れた時には、高熱の中ふらふらの中進み、薬を売っている店を見つけて薬を手に入れた。
そして、虫にたかられながら、電気も十分にとおってないところでも、必至に薬を飲んで寝て回復に努めた。


それでも一向によくならないので、その地方に唯一ある病院にも行った。
その病院はアリが群れをなし、蜘蛛の巣だらけで、水道から水が出ない、誰も英語がしゃべれないという感じだった。

そんな中でも、意味が分からないまま打たれる注射に耐え、現地語での説明を必至に聞き、処方された薬をひたすら飲んだ。


それでもよくならないので、ラオス第二の大きなまちに行き、唯一あるという病院にもいった。
ドクターは英語がしゃべれなかったが、ここでやっと、「アレルギー」という単語をゲットし、ここで処方された薬で熱が下がった。


しかし、どう考えても「アレルギー」はおかしいと思った。
アレルギーなら鼻の痛みの後、あんな高熱になるはずがない。
でも、医者がいうことだから、と信じて薬を服用し、回復に努めていた。
すると、鼻がどんどんふくらみ始めた。


これはおかしい、すぐにでも精密な検査をして適切な治療をしないと大変なことになると思い、

「ええい、もうバンコクまで戻ってしまえ。背に腹は代えられない。体が何より一番大事だ。」

と思ってタイとの国境へ行くと、クーデターが起こったため国境が閉鎖されていた。



しょうがなく、バスで10時間かけ首都のビエンチャンまで行く。

首都ビエンチャンではさすがにきちんとした診療を受けることができた。

ビエンチャンの医者はやはり何かに感染したのだろうといった。

ラオスは医療水準が低い国だ。

大きな病気はタイの病院を紹介したり、大きな事故の時はタイに緊急搬送することもあるらしい。


そして、ドクターがいうには、やはりラオス以外の国で精密な検査を受けた方がいいとのことだった。


ここまでできる限りのことはした。



そうだとすると、これからの選択肢は二つ考えられた。


一つは、バンコクに行き(たぶんもう国境は開いたと思う。最悪開いてなければ飛行機で)、バンコクの大病院で治療を受けること。


二つめは、日本に戻りきちんと検査をし、治療をすることだ。


一つ目のバンコクに戻って治療という方法だと、これからも続けて旅ができる。
しかし、今バンコクの病院に行くと、旅の期限として決めていた「教員採用試験」には確実に間に合わなくなるだろう。
すると、再び教師として働けるのは2年後になる。(この旅に出る前は教師として働いていた)

また、今の荒れているバンコクの情勢の中で落ち着いて治療に専念ということは難しいかもしれない。



二つ目の日本に帰って治療するという方法だと、ここまで続けてきた旅が一度途切れてしまう。
ただ、日本で落ち着いて治療に専念できるし、治療後に教員採用試験を受けることができる。
そして、そのあとまた旅を続けることができる。

ただ、ここまで続けてきた旅を一度途切れさせてしまって後悔はしないだろうか…。





つまり、「旅の期限」を取るか、「あくまで後悔しない旅」を取るかを決めなければならないということだ。



でも、ここでふと思った。


この旅をしていて、やっぱり僕は教師にもう一度なりたいなあと実感することが多かった。

「この旅で見たこと、考えたことを子どもたちに伝えたい」

「本当の意味で広い視野を持った、確かな力を持った世界に通じる子どもをやっぱり育てたい」


そうふと改めて思ったことが何もあった。

そんな思いは旅でいろんなことを経験するたびに強くなっていっている。



そう思うと

「ここで日本に戻り、治療に専念し、その後教師をもう一度目指すことは、たとえ旅が一度中断されてしまったとしても、意義のあることなんじゃないか。」

そう思えた。

旅が途切れてしまうというマイナスなとらえ方でなく、もう一度教師を目指せるというプラスのとらえ方ができるのではないかと。


もちろん、日本に一度も戻らず、旅をつづけ、この旅をしっかりと終えてからたとえ時間がかかったとしても、それから教師を目指す。
そんなことも考えられる。



でも、僕は今年で26になる。

まだ26歳ともいえるが、もう26歳ともいえる。

もし、このまま旅を続けた場合、教師にまたなれるのは2年先になってしまう。

この旅では、旅を始める前から今までずっと両親に心配をかけてきた。

心配をかけないようできる限りのことはしてきたが、それでも心配症な親は心配し続けてきただろう。

26歳にもなあって、これからまた二年間さらに心配させることはしたくない。
それはちょっと違うんじゃないかと思った。





それに何より、ここでこの旅が終わってしまうわけではない。

日本に戻り、治療をし、完治後に教員採用試験を受けた後、それからまた旅を始めればいい。

それからまた再び漕ぎ出せばいい。


一度、「ユーラシア大陸を自転車で横断する」と言ったからには、その途中であきらめるつもりはない。

自分があきらめなければ、終わらない。







というわけで、日本にこれから帰ります。

書いた通り、一度日本に帰るからと言ってこの旅を諦めたわけではありません。


ただ、一度日本に帰るからには、治療をしっかりして完治させます。

いい病院・いい医者を知っている人がいたら教えてください。



ちゃんと勉強して、教員採用試験に受かります。

教師やってる皆さん、いろいろアドバイスください。面接してください。


そして、必ず再スタートします。
やり遂げます。




もちろん、帰るからには、久しぶりの日本もかみしめたいと思います。

完治したら、皆さんたくさん会ってください。
今は、日本に帰って久しぶりみんなに会えることも楽しみです。







そろそろ空港に行きます。

では、日本目指して、いってきます。

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05/15/2014    ラオス
カンボジアを抜け、ラオスに入りました。
進みます!
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