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02/03/2014    インドとひとつに

インド。

この国を訪れて衝撃を受けない人はいないだろう。



鳴りやまないクラクション。

ありえない交通マナー、意味が分からない交通量。

あり得ない交通量インド


どこに行っても散乱しているごみの山。

ごみの山インド


そして、糞尿。


そこから放たれる異臭。


どこに行ってもあふれている人。


しつこい客引き。


迫ってくる物乞いをする人たち。


迫ってくる人もいれば、もう死んでいるんじゃないかと思うほどぐんなりと横たわっている人たちもいる。


その間を、牛やサルや羊やネズミといった動物が行きかう。



もう何がなんだかわからない。



何もかもが「自然そのものの」で「ありのまま」のインド。





そんなインドを自転車で旅をするのは、きつい。
本当にきつい。



それを何かの楽器かと勘違いしているらしいクラクション攻撃に耐える。


対向車線だろうがなんだろうが構わず突っ込んでくる車をよけまくる。
もちろん後ろから来る車にも気を付けながら。


と、思うと意味が分からないとこから人が出てくる。


気を付けなければならないのは前後左右だけではない。


数々の踏むとパンクの原因になりそうなごみやでこぼこが道にはたくさんあるので、前後左右だけではなく、下にも気を付ける。


パンクには関係ないが、道にはうんこもたくさん落ちているので、それにも気を付ける(たくさん踏むと精神的にくる)。


そして、車に乗っている乗客から放たれるつばや、遠慮なく巻き上げられる土埃をかいくぐりながら進む。


土埃や排気ガス、悪臭がひどいところはゆっくり深呼吸もできない。




そんな中走っていると、まるでインドという国から

「自転車旅なんてやめちまえ!」

そんなことを言われているような気がしてくる。



それだけではない。

「ふう、疲れた」と自転車を停めると、うわーっと人が寄ってきて、じろじろと好機の目で見つめられる。

元気な時はいいのだが、毎度毎度だとさすがにうんざりしてくる。

インド人2

田舎町の自転車屋にて。

インド人

人懐っこくて憎めないインド人。元気な時はとっても楽しい。



おなかがすいたと思って何か買おうと思っても、騙されないように油断はできない。
疲れていても交渉しなければいけないことも多々ある。



田舎の方だと、食堂もビビるくらい汚い。


食べ物に虫がたかっていたり、お皿の中に何かへんなものが入っているのは当たり前。
一度田舎で、食べ物のショーケースの中にネズミがいるのも見てしまった。




また、インドはとっっっても広いので大きなまちが遠い。

やっとのことで、次のまちへたどり着いても、「清潔なホテルでゆっくり」なんてことは金銭的に無理だ。



必然的に一泊500円程度の安宿に泊まることになる。


網戸は破けているので蚊がわが物顔で入ってくる。

シーツは当たり前のようによくわからんシミがついている。

ゴキブリやネズミ、よくわからない昆虫も見かける。


食器の下からネズミが出た時や、朝起きるとふとんの中にゴキブリがいたことも。


もちろんお湯なんて出ない。





「インドだけは、自転車以外で旅したい」


そう思うことも多々あった。





しかし、頑張って進んだ。

もう半ば修行に近かったと思う笑。

それは、ある時期までにある場所まで進むという作戦のためだった。


それは、

「2014年の初日の出をバラナシで見る」

というもの。




ヒンドゥー教徒の聖地バラナシ。

インドを旅する人でこのまちのことを知らない人はいないだろう。

バラナシは、ヒンドゥー教徒にとっての聖なる川、ガンジス川のまちだ。


ガンジス川で沐浴をすることで、すべての罪が流される。
また、この川で命を終えることができるのは、ヒンドゥー教徒にとって極上の幸せだと言われている。

そんなバラナシというまちの響きに、インドに行くと決めた時から、僕はずっと憧れていた。




そして、頑張って進んだかいあって、なんとか年越し前にバラナシに着くことができた。






2014年1月1日。

いよいよ待ちに待ったガンジス川とのご対面。


バラナシの路地は迷路のように入り組んでいて、狭い。
初日の出を見るためまだ薄暗い中、足元のうんちに気を付けながら、くねくねと道を進んでいく。


少し迷いながら、でも確実にガンジス川に向かっていくと、空気がひんやりしてきて川が近づいてきたのが分かった。
それと同時に期待に胸が膨らんでいるのが分かった。



急にぱっと視界が開け、それと同時に、目の前に悠遊と流れるガンジス川が飛び込んできた。


ガンジス川は朝もやがかかっていて、まるで浮かんでいるように見える。
とてもこの世の川とは思えなかった。


まだ薄暗いガンジス川の向こう側は、まるで黄泉の国のようにも見えた。



しばらくぶらぶらしていると、次第に周りが明るくなってきて、2014年の初日の出がぼわっと上った。


朝もやの中で上がった太陽は、赤色と朱色が混じったような不思議な色をしていた。


こんな色もあるのか…。。。


と思うと同時に、


ついに2014年が来たんだ。
2013年は教師を辞め、旅に出て、毎日が激動で…。

正直、ここまで来れるとは思っていなかった。
でも、ここまで、バラナシまで来れたんだ。


そんなことを思い、胸がいっぱいになった。

初日の出






そんな太陽を思う存分眺めた後、足を延ばして散歩を続ける。



ボートの客引きをかわしながら、洗濯をしている人たちを眺めながら歩いていると、沐浴をしている人たちが目に飛び込んできた。


「あー。バラナシだ。本当にバラナシだ。」


と改めて実感してなんだかうれしくなってしまった。

沐浴する人たち





本当なら、この時、一緒に沐浴してもよかった。


「初日の出を見ながら、ガンジス川で沐浴をする」


そんな考えがなくはなかった。
せっかくポルトガルから自転車で必至こいてここまで来たのだ。


「でも、着いたばっかりでいきなり沐浴するのはなんだか違う」


という思いもあったし、無理やり沐浴するのではなく、気持ちが盛り上がって、心から入りたいと思ったその時に入りたいという思いがあった。




だから、僕は気持ちが盛り上がるまで数日待つことにした。




そして、その時は突然やってきた。



「ガンジス川に入りたい」


そんな気持ちになったのは、火葬場を見たことがきっかけだった。



ガンジス川の岸辺には、人の亡骸を燃やす火葬場がある。

その火葬場は、人の亡骸を燃やす炎が無数に、昼夜を問わず燃え続けている。



火葬場では、あまりに自然に、そして、多くの炎が上がっている。

だから、最初その炎を見たときは、その炎一つひとつが人を燃やしているなんてとても信じられなかった。


「なんかキャンプファイヤーみたいにも見える」


不謹慎だが、そんなことすら思ったくらいだ。


それほど、当たり前のように火は燃え続けている。



でも、確かにこの炎の一つひとつにはかつて魂があったのだ。

一つの人生があったのだ。

一人の人が燃やされているのだ。


そんなことを考えだすと胸の奥が苦しくなった。


でも同時に、それが自然だということもなぜかすんなりと入ってきた。

インドだからだろうか。





そんなことを思いながら、炎に近づいていった時のことだった。

多くのまきの中に、おかしな形をしたまきがあった。


でも、まきだと思っそれは人の足だった。

組まれたまきの中から人の足が突き出している。



最初それが人の足だとわかった時は、ショックでしばらくそれが人の足だということを認めることができなかった。


でも、それは確かに足なのだ。

目の前に人が燃やされていて、その足の皮膚はどんどんとケロイド状に変わっていく。


と思うとその足がパキパキという音を立てながら、ぐぐぅと曲がっていく。


まるでそれはまだ足が生きているかのようだった。




「こうやって人は死ぬのか。」

「いつか俺もこうやって死ぬのか。」


そんなことを思うと、急に怖くなった。
周りをきょろきょろ見渡した。



いや、俺だけじゃない。この周りにいる人もいつかはみんなこうやって死ぬんだ。

ここにいる人だけじゃない。俺の家族も親戚も友達も、今まで出会った人も、みんなこうやって死ぬんだ。なくなるんだ。この世からこうやってなくなっちゃうんだ。


いや、ただ命がなくなるだけじゃない。これまで頑張ってきたこと、生きてきたことそれ自体も全部いつかはこうやって消えてしまうんだ…。


今まで頑張ってきたことも、生きてきたことも、うれしかったことも、悲しかったこともすべて何もかも…。





なんで頑張って旅しているんだろう…。

どんなに遠くに行ったって、結局死が一番近いところにあるじゃないか。


なんで生きているんだろう…。


自分って何なんだろう…。





命あるものはいつか死ぬ。
すべてのものには終わりがある。
人間一人なんて自然の営みの中の一部でしかない。

そんなこと分かり切っていたことだ。

当たり前のことだ。



でも…

受け入れるしかないのだろうか…。

あきらめるしかないのだろうか…。


人が燃やされているのを見ながら、そんなことをずっと考えていた。




でもいくら考えても、分かったことは分からないということだった。


でも、分からないからこそ分かりたい。

知りたい。



そんなことを思ってふと顔を上げた。


ガンジス川は変わらず悠遊と流れていた。

岸辺では、インド人が別の遺体を川にひたし、次の火葬の準備をしていた。



しかし、ふと周りの人の顔を見ると驚くほどみんなあっけらかんとしていることに気付いた。

誰も悲しそうな顔をしていないし、ショックそうな顔をしているのは、僕みたいなツーリストくらいだった。




なぜこんなにもあっけらかんとしてられるんだろう。
なぜ今こんなに楽しそうにしゃべってられるんだろう。



その時、自称ガイドとして頼んでもいない説明をしてきたインド人の話を思い出した。


「ワタシタチは、このガンジス川で火葬されるとカミサマのトコロ行ける。だから悲しくナイヨ。むしろ幸せナンダヨ。」


そうか。
だから、こんなにもみんなはあっけらかんとしてられるのかな。






その時思った。


ガンジス川に入ってみようかな。



知りたい。


沐浴しながら彼らはどんなことを感じているのか。


別に、私はヒンドゥー教徒ではないので、ガンジス川が神聖な川だとは思わない。

沐浴したところで、何か罪が流されるとも、何かが分かるとも思わない。


ただ、なぜこんなにもこの川を神聖なものとし、どんなことを感じながら沐浴しているのだろう。

神聖とされているこの川で彼らと一緒に沐浴をしてみたい。

そう思った。



気が付くとその足はなくなっていた。


死体

子どもの死体。子どもは焼かないでそのまま川に流す。

ガンジス川のごみ

ごみ、人の糞尿、死体、すべてのものが流される。


髪切る

髪を切り、沐浴準備完了。




そして、翌日。

早朝に宿を出発し、ガンジス川へ向かう。

朝一なので寒い。


しかし、自分でもびっくりするぐらい寒さや川の汚さにためらうことはなかった。



服を脱ぎ、パンツ一丁になる。

大きく深呼吸をし、「えいっ」っと思い切って水に入る。



「あっっ」


思わず声をあげそうになった。

驚くほど気持ちがよかったのだ。
川の汚さなど全く気にならない。


冷たい水が体中に染み渡り、ぱあーっと体中のいろんな嫌なものが流されていく感じがした。


夢中で何度も潜った。



その後しばしぼーっと川面を見る。

川は朝日をあびてまぶしいほどきらきらしている。


それを見たとき、自分は自然の中の一つなんだということをすんなりと受け入れられた気がした。


生きているということを強烈に感じた。


そして、なんだかやっとインドと一つになれた気がした。

沐浴




聖なる川、ガンジス川。

この川は確かに何か不思議な力を持っているのかもしれない。
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